落語ニュース

2008 年 8 月 21 日

津川雅彦「落語家を演じるとは」

カテゴリー: コネタ — タグ: , , — ねーじ @ 10:13 PM

今週末公開の映画『落語娘』で破天荒な落語家を演じる津川雅彦さん。その津川雅彦が語る「落語家を演じる難しさと役者について」というインタビューが掲載されています。

気になったフレーズをいくつかピックアップ。

落語家をやれって言われても、あんなに軽く気持ちよさ気にスラスラっと出てくるしゃべり方っていうのは、大量に練習しなきゃできない。つまり肉体訓練なんだよ。唇という肉体を使っていかに軽くしゃべれるように練習量をこなせるかってこと。

本物に見せるためには、魂を演じるのと、肉体的な存在感を見せるのとの両方の技が必要。僕は、役者は職人だと思ってる。職人はみんな技術を持ってるからね。我々にも「らしく見せる」技術があるわけさ、目標を達成する為の効率の良い訓練の仕方も技のうちだね。

行列を見ただけで、無条件に後ろに並ぶ人たちが増えたのもテレビによる影響。いわゆる「一億総白痴化」の完成だと思うね。

異端児が良い悪いは別にして一番面白い行動をするんだよ。右へならえって号令かけて、言うことをきく奴よりは、反対向くやつの方が面白いのに決まってる。特に、ものを作ってる連中は、みんながやってないことをやりたい精神があって。それが意外性と面白さにつながっていく。どこの世界でも頭の切れる奴は組織しにくいが、逆もまた真なりさ。落語界を組織しようという動きに反する、三々亭平佐みたいな文化度の高い異端児は、特に魅力があったね。

役者も落語家役はやりにくいが、噺家が映画に出ても、これまた上手くやるのは難しい。役者の芸は、芸らしく見せないところに目的があり、落語家は語る芸を楽しんでもらうんだから、芸を感じないと面白くない。歌舞伎の役者も同じく、何百年と続いてきた芸を身に付けて、伝統芸を着込んでいるから、脱ぐのもすごく難しい筈。映像の役者は、いかにリアルにやってるかのように見せるのが至芸。お互い同じ芸人だけど違うジャンルだからね。そういう意味で、両方共演しにくい。

役の魂を演ずるってことは必要だ。僕らはモノマネ屋じゃないから外見は真似しないけど、心は表現したい。

今度の場合も、平佐は立川談志をイメージした。シャイでいたずらっぽくて落語界の異端児で、気に入らない奴は傍若無人に罵倒して、結局最後は自分の可愛げで許される計算までしてる。小ずるさというか、そんな彼の性格や魂を演じたいと思ったんだ。

同じ演者でも、役者と落語家ではタイプが違うんですね。落語家が演じて見せてくれる高座での風景は、映画に負けず劣らず生き生きして素晴らしいものです。

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